君は2006年12月21日3:12、松本信吉・喜美子の第二子・長男として出生しまいした。(ママも3:12生まれだそうです)。
昨年、元旦、パパが頂いた御教え短冊は「信心辛抱すれば節年を境に年まさり代まさりのおかげが頂ける」でした。この年は儀助先生30年、元子夫人60年、恵比寿移転20年、結婚10年のまさに「節年」だったのです。そして5月初旬、初代30年祭の直前に懐妊がわかり、出産予定日は12月11日でしたが、20日、夫人60年の祥月命日に家族で松本家奥城に墓参した晩、出世魚の鰤を食べた後、産気づいたのです。
パパは初めて出産に立ち会いました。超がつく安産だったと、女医さんも助産士さんもママを褒めていました。ママはとても上手で立派でしたよ。
最初の産声が少し小さかったので不安がよぎりましたが、すぐに大きな声で泣きました。鼻と耳たぶが大きくて、両手のひらの手相がくっきりとしたマスカケ。けしてビジュアル系ではありませんが、大物顔でした。ママもパパも交代で抱かせてもらいました。女の子とは違ってずっしりした筋肉的な重みがありました。2844gの君は上手に初乳も飲みましたよ。
名前は「悠助」。「悠久」「はるか」「どこまでも広がる」などの意味を持つ、9月に秋篠宮家に生まれた悠仁親王の「悠」と麻布初代松本儀助先生の「助」を用いました。
新潟中越地震で天皇皇后両陛下が被災地を慰問したときのこと。石原慎太郎東京都知事が「そういうこともいいが、天皇は皇居で白装束を着て国民の安心を祈ってほしい」と談話したことがありました。石原都知事を好きなわけではないが、これには共感。諸外国の反発や政治的な理由で表立ってはできないのかもしれないが、悠仁親王がその立場になられたときも同じような状況なら、「悠助!悠仁親王を助けて、天下国家を祈れ!」という思いも込められています。まさに国家級の親バカです。
僕らはママのおなかに居る間、君を「代まさりちゃん」と呼んでいました。生まれる前からプレッシャーですよね。パパも今までさんざん多方面からプレッシャーを受けてきましたが、君が生まれて初めて「プレッシャーをかける側」にまわった気がします。
「代まさりちゃん」「悠助」「長男」と呼ばれてたいへんだと思いますが、このプレッシャーを跳ね返して、天下国家を祈り助けるお役にたつ人になってください。「鉄は熱いうちに打て」です。でも、プレッシャーをかける側って結構「快感」ですね。
ごめんね。無理はしないから、みんなが助かるように祈って、一緒に難儀を乗り越えていこうね。パパもママも桃子お姉ちゃんも一緒だよ。
産声が 長夜に響き 男子かな (出産は冬至の前日でした)
ちっちゃいね 弟に添う 桃子かな (桃子初対面の一言)
長男を 同志と思う 幸に謝す (身勝手な親です…)
猫の子は子猫 獅子の子は子獅子 松本儀助先生最晩年のお言葉
ちょっとプレッシャーかけすぎか?