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気ままに綴るエッセイ

教会長が気ままに綴るエッセイです。
行事報告もこちらで行いますのでお楽しみに。

2007年06月27日

お客様は神様ではない

先日、小学校の教員をしている青年が参拝して「上手に気持ちを切り替えていかないとたいへんです」と話していた。学校教育の現場では、子供よりむしろ「なぜ学芸会でうちの子に主役をさせない」とか「いただきますを言わせるな」というモンスター親たちに手を焼くという。
最近「肉体労働」「精神労働」に対して「感情労働」という言葉が聞かれるようになった。元々、感情労働の典型として表されたのは、航空機における女性の客室乗務員だが、年金問題のクレームに対応する役人や、教師、駅員、医師、看護士、ホームヘルパーなども「感情労働」を余儀なくされるだろう。
世の中では経済至上主義が「金を払っているのだから」という考え方を助長させている。しかし、得てして「感情労働者」達の賃金は少ない。
渋谷駅のある私鉄職員は、切符を見せずに改札を通り過ぎた男を呼び止めたところ、暴言と唾をかけられ、かっとなって殴ってしまい、諭旨解雇されたという。人間誰しもここまでされたら「堪忍袋の緒が切れる」。あまりにもかわいそうだ。
金光教祖の教えに「何事にも、自分でしようとすると無理ができる。神にさせていただく心ですれば、神がさせてくださる」(『天地は語る』211)とあるが、文頭の青年教員のように気持のオンオフが上手にできないと感情労働者たちは潰されてしまう。
客も労働者も「神様」ではない。「人間」である。

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