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気ままに綴るエッセイ

教会長が気ままに綴るエッセイです。
行事報告もこちらで行いますのでお楽しみに。

2008年03月26日

教会は老若男女共に育つ場

麻布教会では3月23日に今年の勧学祭を行い、大人、子供合わせて30名余りが参拝した。勧学祭は、子供達の今年一年の健康、学業成就、友達と仲良くできるようになどを神様にお願いをさせていただく祭典である。
かつて、この勧学祭の常連であった子供達は大半、社会人となり、今は、私の子供の世代が増えてきている。社会人になったお兄さん、お姉さん達がこの日も、午前中にソフトボールの試合を終えて、お世話の御用をしてくれた。
祭典、記念品の授与のあと、景丘公園でひとしきり遊んで教会に戻り、食前訓を頂いておやつ。食後訓を頂いたあとの子供達は、お兄さん達とプロレスごっこなど楽しそうだった。
この様子を見ていて、ふと思った。今の日本の現代社会の中で、お兄さん世代と、プロレスごっこできる環境というのはどれだけあるだろうか。
かつて、私達の世代はまだガキ大将もいたり、上下のつながりの中で遊んで大きくなった。今の小学生は、習い事や塾など、同世代とのつきあいはあるが、お兄さん達とはしゃいだり、じゃれあったりする機会は乏しいのではないか。
もっと言えば、核家族、輪切りの社会の中で、老若男女が同じ空間にいてふれあうということが少なくなっている。世代や性別が違えば、思考も違う。時にはぶつかり合うこともある。しかし、そうして分かり合うことも教育(共育)であると思う。そういう意味で言えば、教会は老若男女がふれあうことのできる現代社会の中の希有な空間の一つだ。
かつては、町や村といった地域社会がその役割を担ってきた。いま、その働きを見直そうと地域活動を再び活性化しようという動きもあるが、遅きに失した感は否めない。
改めて教会は、そのふれあいができる場所であり、大人も子供も共に育つ場であることを喜び、心身元気な人が育ち、世のお役にたってほしいと思う。

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