一月下旬に気仙沼を訪れたとき、清水幹生さんに、津波にのまれたホテル一景閣へ連れて行っていただき、朝のお祈りをご一緒させていただきました。
最上階のラウンジには神霊前が整えられ、亡くなられた二人の従業員の方がお祀りされていました。清水さんは毎朝、ここで榊の水をお供えし、御祈念をされて、ボランティアをしています。
そこで、拝詞を唱える清水さんの後ろ姿は、まるで「ビルマの竪琴」の水島上等兵の様でした。祈りを捧げる清水さんの背中が、気仙沼に上った朝日に輝いて、まさに「神心」を見た思いがしました。
私は夏に妻の実家を訪れたときに、大文字焼きを見せていただきましたが、京都五山送り火は、応仁の乱の霊を弔う為にはじまったと言われます。
細川成之に仕え、8代将軍・足利義政の右筆をつとめた飯尾彦左衛門は、応仁の乱の時、
「汝(なれ)や知る野辺の都の夕雲雀 あがるを見ても落つる涙は」
と詠みました。
「夕雲雀よ、この気持ちはわかるのか。都は無残にも焼け野原になってしまった。夕空に舞い上がるお前の姿を眺めているだけで涙がこぼれてしまうではないか」という意味ですが、被災地に立つとまさにこのような気持ちになります。
顧みれば、日本は、昔から、数々の天災、戦災に見舞われ、そのたびに犠牲になった人々の霊を弔いながら立ち直っていきました。
今月は、東日本大震災から一年。私たちは3/17〜18には、被災地へ慰霊の旅に向かいます。