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気ままに綴るエッセイ

教会長が気ままに綴るエッセイです。
行事報告もこちらで行いますのでお楽しみに。

2016年06月18日

教祖に復れ 小澤浩氏講演会を終えて 教会長 松本信吉

6月4日、小澤浩氏の講演会が金光教館で行われた。講演に先立ち刊行されたご著書の中で、

私の印象からすると、どうも教会長や布教師の「先生」方は、「助ける人」で信者の方々は「助けてもらう人」といった暗黙の了解があって、そうした役割分担の中に自足しようとする気風が、教会というものを、「無条件の救い」に人々を駆り立てる根拠地としてではなく、かえって自他を隔てる「見えない壁」、「閉鎖的な空間」にしてしまっているようにも思えるのです。(小澤浩著『人が助かることさえできればー「戦争」と「テロ」の時代を見据えて22P)

この一節が一番印象に残った。立教157年を迎える本教が、その歴史の中でこのような現実を作ってきているならば、ここで改めて教祖の時代に帰って、斉藤重右衛門師のように、三ヶ月で広前を開いていくような、「人を助けたい」情熱を駆り立てるようなおかげを授け、理解申して聞かせていくことに取り組まねばならないと思う。

しかし、私自身、「助ける人」としての自覚はなく、氏子と共に、悩み、苦しみ、祈っていくしかないのが現実である。どこまでも天地金乃神様にすがっていくほかはない。「此方のように実意丁寧神信心いたしおる氏子が、世間になんぼうも難儀な氏子あり、取次助けてやってくれ」との天地金乃神様が教祖様にかけた願いに応えていくしかない。教師であろうと信者であろうと、それしかできない。それが「無条件の救い」だと思う。

『天地は語る』95にあるように、
天地金乃神は天地を一目に見とおし、守っておられる。人間は神の氏子、神のおかげを身いっぱいに受けるように、この身、この心を神に向けて信心せよ。何事も無礼と思わないで一心に取りすがっていけば、おかげが受けられる。枯れ木にも花が咲くし、ない命もつないでいただける。わが身におかげを受けて、難儀な人を助けてあげよ。

この教えをどこまでも一心に実践していくしかないのではないか。講演の評価は様々あるだろうが、小澤氏が「金光教の信者さんたちを鼓舞して、大久保宅次氏、湯川安太郎師、幸田タマ師のような人材を現代に輩出してほしい」と私たちの前に立ってくださったことは誠に有り難いことだと思う。

ここから、改めて教師信者が本教のあり方、教会のあり方をどう問うのか、現代社会に生きる人が助かるということはどういうことなのかをそれぞれが考えなおさなければならないと思う。

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