親しい教友夫妻から懐妊の知らせを聞き、おめでとうという気持ちと共に、生まれくる子にご苦労様という気持ちが湧き起こった。
少子高齢化社会、これからの子どもたちは将来一人で何人もの大人達を支えていかなければならない。また教会に生まれた者として抱えていく苦労もよくわかる。しかし、その苦しみを乗り越えて、強く生き、人の気持ちが分かり、お役に立つ人になっていかれるのだろうと思う。
我が娘も3才になり、わがまま盛りである。最近、私が甘いので、このままではいけないと娘を叱る妻に対し、申し訳ない気持ちだ。
厳しく躾なければという思いと、愛おしい思いが、心に浮き沈みする毎日である。
神様も私達をそういう思いで見守ってくださっているのだろう。
娘と風呂に入るたびに、いつまで一緒に入ってくれるのだろうかと思う。
昨春、桃の節句後に詠んだ一句
ひな飾り 父ゆっくりと仕舞いけり
拙い父親である。